谷川 士清
たにかわ ことすが《たにかは ことすが》
1709(宝永 6)
1776(安永 5.10.10)
◇江戸中期の国学者・神道家。名は昇、字(アザナ)は公介、通称
は養順、号は淡斎など。伊勢国安濃(アノ)郡(現:津市)生れ。恒
徳堂という屋号の医者の長男。
京都で医学を修め、松岡玄達(ゲンタツ)・松岡雄淵(ユウエン)に学
ぶ。玉木正英(マサヒデ)(葦斎)に師事し、1732(享保17)垂加(スイカ)
神道の許状を受ける。樋口宗武より万葉学を学ぶ。
帰郷して谷川塾を開き診療と教育に従事。
本居宣長と稿本を交わしていた。
著書は1751年『日本書紀通証』35巻・1775(安永 4)『倭訓栞
(ワクンノシオリ)』93巻・『勾玉考(マガタマコウ)』・『鋸屑譚(オガクズバナ
シ)』など。
(*)1751(寛延 4