谷 文晁
たに ぶんちょう《たに ぶんてう》
1763(宝暦13)
1840(天保11)
◇江戸後期の文人画家。江戸の人。名は正安・子方、通称は
文五郎、別号は写山楼・無二庵主・画学斎・文阿弥など。田安
家の家臣で漢詩人谷麓谷の子。
はじめ南蘋(ナンビン)派の渡辺玄対に学び、狩野派・土佐派や
文人画・西洋画などの手法も研究する。
松平定信の寵遇を受け、定信に従って諸国を巡歴し『集古十種』
の挿絵を描く。
代表作は『名山図絵』・『本朝画纂』・『公余探勝図巻』・
『五柳先生図』・『帰去来図』、画論『文晁画談』など。
◆墓は東京都台東区の東上野6丁目の源空寺。
(19)(1763〜1840)。
(+)源空寺にある台東区教育委員会の立札では、1841(天保12.
12.14)没。
◎門人は渡辺崋山・立原杏所・高久靄匡など。