谷 干城
たに たてき
1837(天保 8. 2.11)
1911. 5.13(明治44)
◇明治時代の陸軍軍人(中将)・政治家・子爵。名は干城(カンジョ
ウ)とも、通称は守部、号は隈山。土佐高岡郡窪川生れ。谷万七
の子。
土佐藩藩校教授の父から武芸・漢学を学ぶ。
戊辰戦争に参加。
1877(明治10)西南戦争では熊本鎮台司令官として、政府軍が
熊本城下に来るまで52日間の籠城に成功。
1879(明治12)兵部大丞・東部監軍部長・陸軍士官学校長など
を歴任。
退役後、民権運動に反対して保守中正派を組織。第1次伊藤
内閣の農商務大臣となり欧州視察後、国粋主義・農本主義を主
張して井上馨外務大臣の条約改正・欧化主義に反対して辞職。