谷 秦山
たに しんざん
1663(寛文 3. 3.11)
1718(享保 3. 6.30)
◇江戸中期の垂加(スイカ)神道家・暦術家・儒学者。本姓は大神
(ミワ)、名は重遠(シゲトオ)、通称は丹三郎、号は秦山(シンザン)。土
佐国長岡郡八幡村の八幡宮神職、谷神兵衛重元の3男。垣守の
父。
17歳の時、上京して山崎闇斎(アンサイ)に師事、儒学と垂加神道
を学ぶ。闇斎の没後はその弟子浅見絅斎(ケイサイ)に師事。32歳の
時、闇斎の弟子渋川春海(ハルミ)に書信で教えを請い、天文暦法
を修める。
帰藩後、南学を復興。45歳の時、継嗣問題に連坐して蟄居。
著書は『神代巻塩土伝(シオヅタエ)』・『中臣祓塩土伝』・『土
佐国式社考』・『秦山集』・『保建大記打聞(ウチキキ)』など。
◎のちの勤王運動に大きな影響を与える。