田中 頼庸
たなか よりつね
1836(天保 7)
1897. 4.10(明治30)
◇江戸幕末・明治前期の国学者・大宮司。薩摩藩士田中四郎左
衛門の子。
15歳の時、政争に連坐して大島に配流。
明治初年、藩校造士館国学局初講と神社奉行を兼ねる。
1871(明治 4)神代三陵取調、1872(明治 5)神祇省に出仕。
1874(明治 7)神宮大宮司、1876(明治 9)大教正、1880(明治
13)神道事務局副管長。
祭神論争では出雲派の千家尊福(センゲ・タカトミ)と伊勢派の指導
者として対立。
1882(明治15)一派として独立した神道神宮教の管長。