武田 勝頼
たけだ かつより
1546(天文15)
1582(天正10. 3.11)
◇戦国・安土時代の武将。幼名は伊奈四郎。武田信玄(シンゲン)
の子、母は諏訪頼重(スワ・ヨリシゲ)の娘。妻は美濃国岩村の遠山勘
太郎の娘で織田信長(ノブナガ)の養女雪姫。
1562(永禄 5)諏訪氏を継ぎ、信濃高遠に居る。1565(永禄 8)
雪姫を娶る。
1573年、信玄が病死して武田氏を継ぐ。1574(天正 2)美濃明
智城、三河野田新城、遠江高天神城を攻める。1575(天正 3)前
将軍足利義昭(ヨシアキ)に応じ再び三河を侵し長篠城を囲むが、織
田信長・徳川家康(イエヤス)の連合軍に設楽原で大敗し、宿将多数
を失いのち振わなくなる。
北条氏政(ウジマサ)の妹を娶り、国勢の挽回を期する。1577(天
正 5)信長の講和の申込を拒否し、1578(天正 6)遠江に家康と
対陣、氏政とも義絶。1579(天正 7)江尻に家康と対陣、家康と
和睦した氏政と駿河に戦う。1580(天正 8)駿河を侵し、家康・
氏政らと戦う。1581(天正 9)家康に高天神城を攻められて遂に
敗れる。信長の人質勝長を返し、韮崎に新府城を築き信長の来
攻に備える。
1582(天正10)家臣木曾義昌が信長に、穴山信君が家康に通じ、
これを討とうと2万の兵を率いて出陣するが、一族・家臣が離
散し、甲斐国都留郡に小山信茂を頼るが拒まれ、天目山の麓で
滝川一益(カズマス)に包囲され自刃、ここに武田氏が滅ぶ。
(*)1573(元亀 4