伊達 宗城
だて むねなり
1818
1892(明治25)
◇江戸幕末の伊予宇和島第8代藩主・明治時代の官吏。幼名は
亀太郎、通称は知次郎・兵五郎、号は藍山。幕臣山口直勝の子。
伊予宇和島藩家臣伊達寿光の養子、のち改めて藩主伊達宗紀の
養子。
洋学を重んじて先代からの藩政改革を推進。
将軍継嗣問題では一橋慶喜を擁立。井伊大老の安政五か国条
約調印を非難したこととで譴責され隠居。その後も天皇を首長
とする連邦国家を構想し、島津久光・山内豊信らと公武合体を
推進。
明治維新後、民部卿兼大蔵卿、1871(明治 4)欽差大使として
清国に使し、日清修好条規を締結。
修史局副総裁となり松平慶永・池田茂政とともに『徳川礼典
録』を編纂。
(2)生年は1817(文化15)。
(4)生年は1818。
(*)1818(文化15