辰野 金吾
たつの きんご
1854(嘉永 7. 8.22)
1919. 3.25(大正 8)
◇日本近代建築の先覚者。肥前国唐津藩の足軽同然の下級士族
の子。辰野隆(ユタカ)の父。
城下の私塾の塾頭の時に明治維新を迎える。唐津藩が開いた
英学校で都落ちしていた英学教師高橋是清に学ぶ。高橋が新政
府に呼び戻されると、後を追って上京し外人住宅でボーイをし
て英語を学ぶ。
工部寮(東京大学)に補欠で入学し、コンドル(鹿鳴館設計者)
に建築を学び、1879(明治12)工部省派遣留学生としてイギリス
に留学。フランス・イタリアを回り1883(明治16)帰国。
1884(明治17)工部大学造家学科教授・1886(明治19)工科大学
(工部大学の後身)建築学科教授・1898(明治31)東京大学工科大
学学長を歴任。
1902(明治35)退官し、翌年辰野葛西建築事務所を創立、1905
(明治38)大阪辰野片岡建築事務所を創立。
1896(明治29)日本銀行本店(旧館)・1914(大正 3)東京駅・
1909(明治42)両国国技館の設計者。
1887(明治20)日本建築学会を結成し『建築雑誌』を創刊、
1888(明治21)工手学校(現:工学院大学)設立。
政界では高橋是清、財界では渋沢栄一にバックアップされた。