橘 逸勢
たちばなのはやなり
生年不詳
842(承和 9. 8.13)
◇平安初期の官僚・書家。橘奈良麻呂の孫、入居(イルイエ)の子。
804(延暦23)遣唐使に従い入唐(ニットウ)。 840(承和 7)但馬権
守。
842(承和 9)嵯峨上皇が重態におちいると、伴健岑(トモノコワミネ)
とともに恒貞(ツネサダ)親王(皇太子)を奉じて変を企てたと阿保
(アボ)親王に訴えられ(承和の変)、伊豆へ流される途中、遠江
国板筑駅で病死。これは藤原良房の画策といわれる。
嵯峨天皇・空海とともに三筆の一人。隷書に秀で、宮門の榜
題は多く彼の筆になるという。