橘 守部
たちばな もりべ
1781
1849(嘉永 2. 5.24)
◇江戸後期の国学者・歌人。本姓は飯田、通称は元輔、号は
池庵・椎本(シイガモト)・蓬壺など。伊勢国朝明(アサケ)郡小向村生
れ。
幼少の時に一家が離散。1797(寛政 9)江戸に出て狂歌師とな
るが国学に転じ清水浜臣(ハマオミ)らに学ぶ。1809(文化 6)武蔵国
葛飾(カツシカ)郡内国府間村に移る。1829(文政12)再び江戸に出る。
独学で国学を修め『日本書紀』を重視し、当時主流であった
『古事記』を尊ぶ本居宣長に対抗する一家を形成。
著書は『稜威道別(イツノチワキ)』・『稜威言別(イツノコトワキ)』・
『難古事記伝』・『神代直語』・『橘守部家集』など多数。
(*)1781(安永10