武林 隆重
たけばやし たかしげ
1672(寛文12)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、馬廻、十五両三人扶持。通
称は唯七(タダシチ)、戒名は刃性春剣信士、吉良家を探索中の変
名は渡辺七郎右衛門(シチロウエモン)。中国人孟二寛(武林治庵<ジアン>)
の孫、治庵の子渡辺平右衛門(ヘイエモン)の次男で祖父の姓を継ぐ。
吉良家討ち入りでは表門隊。炭小屋に隠れていた吉良上野介
(コウズケノスケ)義央への一番槍が間十次郎(ハザマ・ジュウジロウ)光興(ミツ
オキ)、一番太刀が唯七であった。毛利(モウリ)甲斐守の麻布(アザブ)
屋敷に預けられ、翌年切腹。介錯(カイシャク)人が首を打ち損ねた
という話がある。