滝沢 馬琴
たきざわ ばきん《たきざは ばきん》
1767(明和 4. 6. 9)
1848(嘉永元.11. 6)
◇江戸時代後期の読本(ヨミホン)・黄表紙・草双紙・合巻(ゴウカン)作者。
名は興邦(オキクニ)のち解(トク)、幼名は倉蔵、俗称は左七郎・左吉
・瑣吉・清右衛門・篁民(コウミン)、号は曲亭馬琴(キョクテイ・バキン)・
大栄山人・著作堂主人・蓑笠漁隠(サリツギョイン)・飯台陳人(ハンダイ
チンジン)・玄同・玄同陳人・(「籟」-「竹」を冠に「鳥」)斎(ライサイ)。
江戸深川の生れ。父は旗本松平信成家用人。
父の死後、幼時から武家奉公に出て諸家を転々とする。
24歳で戯作(ゲサク)を志し、山東京伝に師事。
1791(寛政 3)大栄山人の名で黄表紙『尽用而二分狂言(ツカイハタ
シテニブキョヨウゲン)』を発表。
1793(寛政 5)九段の履物商(ハキモノショウ)伊勢屋の寡婦に入夫し、
以後戯作に専心。
1796(寛政 8)『高尾船字文』以後、次第に読本に力を注ぎ、
1803(享和 3)『月氷奇縁』で好評を博す。
勧善懲悪(カンゼンチョウアク)を標榜しつつ、雅俗折衷(ガゾクセッチュウ)
の流麗な文体で、雄大な構想と複雑な筋立ての大作を続々発表。
晩年、妻子の死没や眼疾に冒されて失明などの中、28年を費
やして『南総里見八犬伝(ナンソウサトミハッケンデン)』を完結。
他の作品は『椿説弓張月(チンセツユミハリヅキ)』・『三七全伝南柯
夢』・『俊寛僧都島物語』・『朝夷(アサヒナ)巡島記』・『近世説
美少年録』などのほか、日記『馬琴日記』、随筆『燕石雑志』
・『玄同放言』、評論『近世物之本江戸作者部類』など。
(2)解(トクル)。
(5)解(トク)。
(6)解(トクル)。
(11)曲亭馬琴(きょくてい ばきん)。姓は滝沢、名は興邦(オキク
ニ)、のちに解。幼名は倉蔵、のちに左七、左五郎、清右衛門。
別号に大栄山人、著作堂主人、蓑笠漁隠(サリュウギョイン)など。
(+)『大辞林 CD−ROM版』
名は解(トクヲ)。