大黒屋 幸太夫
だいこくや こうだゆう《だいこくや かうだいふ》
1751
1828(文政11)
◇江戸後期の船頭。通称は大黒光太夫。伊勢国河曲郡の人。商
家亀やの次男で、廻漕業大黒屋の養子。
1782(天明 2. 9.)伊勢亀山の彦兵衛の神昌丸で伊勢白子浦よ
り紀州藩米を積み出港、乗員16人とともに江戸へ廻漕中、台風
に遭遇。8ヶ月漂流の後、1783(天明 3)アレウト諸島(アリュー
シャン列島)アムチトカ島に漂着。在島4年の間に壊血病で仲
間を失い8人となる。
帰国の請願のためカムチャツカに渡り、総督府のあるイルク
ーツクに移される。植物学者キリル・ラックスマン教授の計ら
いで首都ペテルスブルクに至り、1791(寛政 3. 6.)女帝エカテ
リーナ2世に謁見、帰国の許可を得る。しかし、キリスト教に
入った2名は現地に留まることになる。
1792(寛政 4. 9.)アダム・ラックスマン(キリルの子)が通商
を求めて根室弁天島に来航した際、他2名とともに送還される
(1名はまもなく死亡)。1793(寛政 5)江戸に移され、江戸雉子
橋外の厩舎に留めおかれ、老中松平定信らの取り調べを受け、
外国の見聞を語らぬよう命ぜられ、番町で監禁同様に居住し手
当を受ける。
(2)(生)伊勢国若松村。
(4)伊勢国の人。
(6)伊勢国の漁港白子の船頭。
(16)伊勢国河曲郡の人。
(*)1751(寛延 4