平 康頼
たいらのやすより《たひらのやすより》
生年不詳
没年不詳
◇平安末期の廷臣。通称は平判官康頼、法号は性照。信濃守頼
季の子。
後白河院の近臣で、1177年、京都東山の鹿ヶ谷(シシガタニ)の山
荘で、俊寛(シュンカン)や藤原成親・(少将)成経父子らと平清盛(キヨ
モリ)を滅ぼそうと謀ったが、源行綱の密告によって謀議が露見
する(鹿ヶ谷の変)。同年、薩摩国鬼界島(キカイガシマ)(硫黄島)に
流され、翌年春大赦で成経らと召還される。
流罪になるとき周防で出家、性照と号す。
(*)1177(安元 3