平教盛
たいらののりもり《たひらののりもり》
1128(大治 3)
1185
◇平安末期の武将。通称は門脇(カドワキ)殿(平清盛の六波羅邸の
門脇に邸宅を構えた)。平忠盛(タダモリ)の第3子、母は藤原家隆
(イエタカ)の娘(待賢門院の女房)。教経(ノリツネ)の父。清盛(キヨモリ)・
経盛(ツネモリ)の異母弟、頼盛(ヨリモリ)・忠度(タダノリ)の異母兄。
保元・平治の乱に功をたて正四位下常陸介に至る。
1161年、平時忠(トキタダ)とともに憲仁親王を皇太子にしよう
と謀り、発覚して官を奪われる。1168(仁安 3)高倉天皇(憲仁)
即位とともに蔵人頭・参議となる。1181年清盛の死後、清盛の
子宗盛(ムネモリ)の後見として権中納言となる。
源(木曾)義仲(ヨシナカ)に敗れ、西走。1183(寿永 2)備中水島に
義仲の軍を破り、源行家(ユキイエ)を播磨(ハリマ)室山に破り、一時
勢力を回復し一ノ谷に進出するが、壇ノ浦で戦死。
(2)生年は1128(大治 3)。平忠盛の4男。壇ノ浦で弟経盛とと
もに入水した。
(4)生年は1129。忠盛の第三子。壇ノ浦の戦に知盛と自刃。
(16)生年は1128(大治 3)。忠盛の子。壇ノ浦の戦で没した.
(*)1161(永暦 2