平 時忠
たいらのときただ《たひらのときただ》
1127(大治 2)
1186(文治 2. 2.24)
◇平安末期の公卿。通称は平関白。兵部権大輔平時信の子。滋
子(後白河天皇の女御)・時子(平清盛の妻)の兄。
1161年、平教盛(ノリモリ)とともに憲仁親王を皇太子にしようと
謀り発覚、1162(応保 2)国家を呪詛し、1169年、藤原成親を讒
訴したことにより、出雲に流される。
1179(治承 3)正二位。1183(寿永 2)権大納言。
壇ノ浦で捕えられ、能登に流される。
「この一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」と言った逸話
は有名。
(2)生年は1127(大治 2)、没年は1189(文治 5)。
平氏全盛期に〈この一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし〉
といったと伝える。
平氏滅亡後、源義経に近づいて身の保全をはかったが,源頼
朝によって能登に流された。
(4)生年は1130、没年は1189。
「平氏にあらざれば人にあらず」とうそぶいたことは有名。
壇ノ浦の戦後、内侍所を奉じて京都に帰り、罪を免れんこと
を請うたが許されず、能登に流されて没。
(6)生年は1127、没年は1186。
壇ノ浦の戦で捕えられ,能登に流された。
(16)生年は1127(大治 2)、没年は1186(文治 2. 2.24)。
平氏滅亡後捕えられて帰洛した.その後、義経に女を進めて
身の保全を図ったが,頼朝の厳命により,能登に流され,同地
で没した.
(*)1161(永暦 2