平 重衡
たいらのしげひら《たひらのしげひら》
1156
1185(元暦 2. 6.23)
◇平安末期の武将。平清盛(キヨモリ)の子、母は平時子(トキコ)。重
盛(シゲモリ)の異母弟、宗盛(ムネモリ)・知盛(トモモリ)・徳子(トクコ)(建
礼門院)の同母弟。
1180(治承 4. 5.)兄知盛とともに源頼政(ヨリマサ)を宇治に破り、
11月頼政に通じた東大寺・興福寺を攻めて焼く。
1181年尾張国洲俣川に甥の平維盛(コレモリ)とともに源行家(ユキイ
エ)を破り、従三位左中将となる。
1183(寿永 2)西走後、備中国水島で源義仲(ヨシナカ)軍の部将高
梨高信を討つ。
翌年、一ノ谷の戦に敗れ、須磨の浦で荘家長らに捕われ鎌倉
に送られる。後白河法皇は重衡を人質として平宗盛(ムネモリ)に三
種の神器の返還を要求するが拒絶される。
平家滅亡後、鎌倉に送られ、源頼朝に厚遇される。出家を願
うが、南都衆徒の要請で奈良に送られ、木津川で斬首、奈良坂
に晒首(サラシクビ)となる。
(2)没年は1185(文治 1)。
母は平時子。
洲俣川で源行家を破り……。
(4)没年は1184。
(6)没年は1185。
(16)没年は1185(文治 1. 6.23)。
源行家を尾張の洲股に破り……。
母池禅尼が……。
(*)1156(久寿 3