平 貞能
たいらのさだよし
生年不詳
没年不詳
◇平安末期の武将。通称は肥後入道、法号は以典。平家貞(イエサ
ダ)の子。
1177年鹿ヶ谷の変の鎮圧、1181年九州平定などに平清盛(キヨモ
リ)の侍大将として活躍。1183(寿永 2)平氏西走の際、菊池・原
田種直・松浦党以下3千騎を率いて上洛、都に留まることを進
言するが聞き入れられず、平重盛(シゲモリ)の骨を高野山に改葬
して西走。
一時行方不明であったが、外戚の宇都宮朝綱の許に身をよせ、
のち出家して源頼朝(ヨリトモ)に罪を許される。
(*)1177(安元 3