平 維盛
たいらのこれもり《たひらのこれもり》
1158(保元 3)
1184(寿永 3. 3.28)
◇平安末期の武将。惟盛とも書く。通称は桜梅少将・小松中将、
法名は浄円。平重盛(シゲモリ)の長子。
1176(安元 2)後白河法皇50歳の祝賀で「青海波」を舞い、その
美しさから桜梅少将と呼ばれる。
1180(治承 4. 4.)源頼朝(ヨリトモ)の挙兵に際し、追討大将軍と
なるが、10月富士川の戦で水鳥の羽音に驚き敵軍の来襲と誤り
敗走し、平清盛(キヨモリ)の怒りを買う。
1181年尾張国洲俣川に平重衡(シゲヒラ)・忠度(タダノリ)とともに
源行家(ユキイエ)を破り、従二位右中将・蔵人頭となり小松中将と
呼ばれる。
1183(寿永 2)倶利伽羅峠(クリカラトウゲ)では源義仲(ヨシナカ)に「火
牛の計」で敗れる(砺波山<トナミヤマ>の戦)。
のち西走。1184(寿永 3. 3.15)屋島で源氏と対陣中、密かに
逃亡。那智の沖に入水。
(2)生年は1157(保元 2)、没年は1184(元暦 1)。
のち高野山に入り,滝口入道(斎藤時頼)のもとで出家して浄
円と号した。'84(元暦 1)3月滝口入道に見守られて那智で入
水した。
(4)生年は1160、没年不詳。
屋島の戦後、高野山に入って僧となったという。
(6)生没年不詳。
のち平家一族とともに西走。以後不明。
(16)生年は1158(保元 3)、没年は1184(元暦 1)。
途中で屋島の行宮から逃れて高野山に入り,出家して浄円と
号し,まもなく那智の海で入水自殺した.
(*)1181(治承 5