安藤 昌益
あんどう しょうえき《あんどう しやうえき》
1703(元禄16)
1762(宝暦12)
◇江戸中期の医者・社会思想家。確竜堂良中と称する。出羽
(現:秋田県)上層農民の生れ。
久保田(クボタ)(秋田市)で成長し、医学・本草学を修め、儒仏
・天文学などにも造詣が深い。
1744〜1745(延享元〜 2)ころ、八戸(ハチノヘ)(現:青森県)城下
の十三日町で町医者を開業。のち西欧事情を知るため長崎に遊
学したともいわれる。
1758(宝暦 8)から秋田郡二井田村(ニイダムラ)に居住。
狩野亨吉(コウキチ)やE.H.ノーマンにより紹介。武家社会の封
建制度を批判、それを正当化する儒仏を廃し、支配関係のない
農本的原始共産社会を説き、日本人には数少ない思想家といわ
れる。
著作は1752(宝暦 2)ころ『統道真伝』(5巻)・1753(宝暦 3)
『自然真営道』(3巻刊行)など。
◆生地秋田県大館市二井田村の温泉寺(オンセンジ)に墓がある。法
名は昌安久益信士。死後、「守農太神確竜堂良中先生」の石碑が
建てられた。
◎『自然真営道』は稿本100巻、93冊。うち現存は15巻。
1899(明治32)秋田県出身の狩野亨吉により再発見される。
第二次世界大戦後、ノーマンの『忘れられた思想家』によっ
て世界的に知られるようになる。封建制度を誰も疑問に思わな
かった時代に、それを否定する考えに至ったことは高く評価さ
れている。
(4)生年は不詳。
(6)生年は1703。
(+)『岩波小辞典 哲学』1967年10月10日第2版第12刷。
生年は1707(宝永 4)、没年は?。