安倍 頼時
あべのよりとき
生年不詳
1057(天喜 5. 7.26)
◇平安中期の豪族。本姓は亘理(ワタリ)氏、安倍姓は賜姓といわ
れる。はじめは頼良・頼長・頼義、通称は安大夫。忠頼の孫、
忠良の子、貞任(ヨリトウ)・宗任(ムネトウ)の父。
奥六郡(胆沢・江刺・和賀・稗貴・紫波・岩手)の郡司。
朝命に服せず、陸奥守藤原登任(ナリトウ)を破り、朝廷より自立。
このため陸奥守兼鎮守府将軍に任じられた源頼義・義家父子に
攻められるが、大赦があり罪を免ぜられて一旦帰順。
1056(天喜 4)貞任への冤罪から再び子の貞任・宗任らと叛く
(前九年の役:1056〜62)。頼義に応じた安倍富忠を自ら説得、
富忠の伏兵と戦い流れ矢にあたり、鳥海柵に帰り没する。
(2)1057(天喜 5)9月頼義・義家父子に鳥海の柵で討たれた。
(16)没日は 7/26。