新井 白石
あらい はくせき《あらゐ はくせき》
1657(明暦 3. 2.11)
1725(享保10. 5.19)
◇江戸中期の朱子学者・漢詩人・政治家。幼名は伝蔵(傳藏)(デ
ンゾウ)、名は君美(キンミ)、字は済美、通称は与五郎、のち勘解由
(カゲユ)、号は白石・紫陽・天爵堂。父は久留里藩(2万2千石)の
目付役新井正済(正濟)(マサナリ)。従五位下(明治に至り正四位を
贈られる)、筑後守(チクゴノカミ)。
明暦大火の直後、江戸神田の藩主土屋利直(トシナオ)の仮屋で生
れる。土屋家仕え、のち利直が亡くなり子の頼直(ヨリナオ)が継ぐ
と父子ともに辞職。
江戸に出て浪人。大老堀田正俊(下総古河城主)に仕えるが2
年で正俊が稲葉正休に斬られて亡くなる。30歳のころ木下順庵
に朱子学を学び、35歳で堀田家を致仕。のち順庵の推挙で1693
(元禄 6)甲府藩主徳川綱豊に仕える。
1709(宝永 6)綱豊が六代将軍家宣(イエノブ)になり、側用人間
部詮房(マナベ・アキフサ)とともに幕政を補佐。武蔵国埼玉郡に500石
を賜り、のち相摸国に500石を加贈。生類憐の令など将軍綱吉
(ツナヨシ)の時の弊政の廃止・朝鮮使節の簡略化・幣制の改革・外
国貿易の制限・閑院宮(カンインノミヤ)家の創立などを行う。家宣の
死後、詮房とともに七代将軍家継(イエツグ)を補佐。家継の死後、
1716(享保元)吉宗が将軍となるとともに致仕。
著書は自伝『折たく柴の記』・『西洋紀聞』・『読史余論』
など。
(2)(名)君美(キンミ),通称勘解由(カゲユ),白石は号。
(4)名は君美(キミヨシ)。
(6)名は君美(キンミ),通称は勘解由(カゲユ)。白石は号。
(5)名乗りは君美(キンミ)、……。
◆墓は東京都中野区上高田1−2−9の高徳寺。