関 孝和
せき たかかず
1642(寛永19)頃
1708(宝永 5.10.24)
◇江戸前期の数学者・和算関流の開祖。通称は新助、号は
自由亭。生地は上野国藤岡または江戸とも。
高原吉種の門に学ぶ。甲州公徳川綱重とその子綱豊(のち第
6代将軍家宣)に使え、幕府の納戸組頭となる。
中国の算木を用いる天元術の欠点を改め、1674(延宝 2)筆算
式の代数学である「帰源整法」を考案。方程式論・行列式論など
を創始。また、幾何学を研究・開拓など多方面に業績を残す。
著書は『大成算経』・『括要算法』・1674(延宝 2)『発微算
法(ハツビサンポウ)』など。
(6)生年は1637か42。点竄術の項目で「帰源整法」。
(19)生年は1640頃。
(+)浄輪寺の立て札では「六六歳で歿した」。「得源整法」。
◎算聖と呼ばれた。
◎「帰源整法」は孫弟子の松永良弼(ヨシスケ)が「点竄(テンザン)術」と
改名した。
◆墓は東京都新宿区弁天町の浄輪寺。