蘇我倉山田 石川麻呂
そがのくらやまだのいしかわのまろ
生年不詳
649(大化 5)
◇孝徳朝の政治家。氏は蘇我倉山田、名は麻呂、蘇我石川麻呂
とも呼ぶ。蘇我馬子(ウマコ)の孫、倉麻呂の子、日向(ヒムカ)・連子
(ムラジコ)・赤兄(アカエ)の兄。
宗家の蘇我蝦夷(エミシ)・入鹿(イルカ)らに反目していたため、蘇
我一族の分裂を図る中臣鎌足に引き入れられ、娘の遠智娘(オチノ
イラツメ)を中大兄皇子の妃とするなど皇子と結び、大化改新に参
画。大極殿で蘇我入鹿を暗殺する際は三韓の表文を読み上げる
役割をする。
孝徳天皇の即位とともに右大臣に任ぜられる。左大臣阿倍内
麻呂の死 649(大化 5. 3.17)の翌月、異母弟蘇我日向の讒言(ザ
ンゲン)を受け、日向が率いる中大兄皇子の軍が来る前に、難波
から大和飛鳥の山田寺に逃げ、長子興志が兵を集めるのを制し
て自刃。その直後に石川麻呂の潔白が証明され、日向は筑紫大
宰帥に任じられ左遷。