鈴木 重胤
すずき しげたね
1812(文化 9)
1863(文久 3. 8.15)
◇江戸後期の国学者。姓は穂積、通称は雄三郎のち勝左衛門、
号は橿廼家(カシノヤ)・厳橿本、重胤は諱(イミナ)。淡路国津名(ツナ)
郡仁井村の庄屋の家に生れる。父は重威。
父に学問の手ほどきを受け、大坂・神戸で奉公のかたわら学
問に励む。1832(天保 3)平田篤胤(アツタネ)に書信で教えを受ける
が、面会できないうちに篤胤は亡くなる。1834(天保 5)ころ大
国隆正(タカマサ)に入門。江戸に居を構え、越後や出羽などにおも
むき学説を広める。しだいに篤胤の学説を批判し、1857(安政
4)篤胤の養子銕胤(カネタネ)らと不和が生じ、翌年平田家から破門。
江戸在住中に凶徒に暗殺された。