崇源院
すうげんいん
1573
1626(寛永 3)
◇江戸前期の将軍の夫人。幼名は小督御料人のち徳子。浅井長
政の3女、母は織田信長の妹お市の方(小谷の方)。豊臣秀吉の
側室淀君・京極高次の室常高院の妹。
1573(天正元. 8.)織田信長に攻められて小谷城で長政が亡く
なったとき、母と姉2人と逃れる。
1582(天正10. 6. 2)信長が本能寺の変で亡くなり、9月に母
が柴田勝家と再婚し、母と姉2人と越前国北ノ庄に赴く。1583
(天正11. 3.)勝家は越前で挙兵、 4.21近江国賤ヶ岳(シズガタケ)
で羽柴(豊臣)秀吉(ハシバ・ヒデヨシ)に大敗(賤ヶ岳の戦)。 4.24母
は居城北ノ庄の城で勝家とともに自殺。この時、娘3人は逃が
され一乗谷に脱出。
はじめ豊臣秀勝に嫁し、のち徳川秀忠(家康の3男