菅原 道真
すがわらのみちざね《すがはらのみちざね》
845(承和12)
903(延喜 3. 2.25)
◇平安前期の学者・政治家。通称は菅公・菅家・菅丞相(カンショウ
ジョウ)。菅原是善(コレヨシ)の子、菅原文時(フミトキ)の祖父。
870(貞観12)方略試(ホウリャクシ)(官吏登用試験)に合格。 877
(元慶元)文章博士に任じられる。 886(仁和 2)讃岐守(サヌキノカミ)
となり任地に赴(オモム)く。在任中に藤原基経(モトツネ)に意見書を
呈示し「阿衡(アコウ)の紛議」の解決に努力し、宇多(ウダ)天皇に信
頼される。 890(寛平 2)国司の任期を終え帰京。
台頭する藤原氏を押えるため、 891(寛平 3)関白基経の死後、
直ちに蔵人頭(クロウドノトウ)に抜擢される。 894(寛平 6)遣唐大使
に任ぜられながら、派遣中止を進言して廃止となる。 897(寛
平 9)若い藤原時平(トキヒラ)が大納言兼左大将となり、道真は権
大納言兼右大将となる。しかし同年、彼を引き立てていた宇多
天皇が譲位し、醍醐天皇が即位。 899(昌泰 2)時平が左大臣に
なった時、道真も右大臣に任じられ、学者としては吉備真備(キ
ビノマキビ)につぐ異例の出世となる。しかし、翌年には三善清行
(キヨユキ)に辞職を勧められている。
潔癖実直すぎた性格が災いし、 901(延喜元)時平の讒言(ザン
ゲン)(中傷)により、醍醐天皇を廃して道真の女婿にあたる斎世
親王を立てようとしたという嫌疑で、太宰権帥(ダザイノゴンノソツ)
(太宰府の長官)に左遷され、罪人同様の生活を送り、その配所
で病没。
その文才は中唐の詩人白居易(ハク・キョイ)に比べられた。
著書は『菅家文草(カンケブンソウ)』・『菅家後集(コウシュウ)(菅家後
草)』・『類聚国史(ルイジュウコクシ)』など。
◎左遷の際に「東風(コチ)吹かば匂ひおこせよ梅の花/主(アルジ)
なしとて春な忘れそ」と歌った梅が、のちに配所に飛んできた
という「飛び梅」の伝説がある。
◎延喜年間( 901〜 923)反道真の関係者が次々急逝し、延長年
末に清涼殿に落雷があって死者が出ると、道真の怨霊(オンリョウ)
の祟(タタ)りと畏(オソ)れられ、「天満大自在天神(天満威徳天)・
火雷天神」として祀(マツ)られる。太宰府には安楽寺(のち太宰府
天満宮)が、京都北野の馬場に天神社(のち北野天満宮)が建て
られる。
後世、一般にも晩年の不遇が悼(イタ)まれ、数々の天満宮(テンマ
ングウ)・天神(テンジン)・文道の神として、全国に異例の尊崇を受
ける。
「天満大自在天神」はヒンズー教のシバ神(世界を創造し支配
する最高神)で、仏教では白牛に乗る神。
◆道真忌[旧暦 2.25]。
◆北野梅花祭[ 2.25]京都市上京区馬喰町の北野神社。
◆梅まつり[ 2.25〜 3.15]東京都文京区の湯島天神。
◆菜種御供(ナタネゴク)[ 3.25](月遅れ)大阪府藤井寺市の道明寺
天満宮。