親鸞
しんらん
1173(承安 3)
1262(弘長 2.11.28)
◇鎌倉前期の僧。浄土真宗(一向宗)の開祖。幼名は松若丸・
範宴、法名は綽空(シャククウ)・善信(ゼンシン)・愚禿(グトク)、諡号は
見真大師。日野有範の子、善鸞・有房・覚信尼の父、唯善の祖
父、本願寺3世覚如(カクニョ)の曾祖父。
9歳のとき青蓮院慈円(ショウレンイン・ジエン)の門に入り、比叡山で
修行。1201年、京都六角堂に百日参籠(サンロウ)し、聖徳太子の
「示現の文」により、東山吉水の法然(ホウネン)房源空に就き専修(セ
ンジュ)念仏に転じ、綽空と改める。
1207(承元元)法然の念仏弾圧に連座して、藤井善信(ヨシノブ)
と俗名を付けられ越後に流される(承元法難)。以後は愚禿と称
し、非僧非俗の生活を信条とする。さらに親鸞と自称し、三善
氏の娘(のち恵信尼<エシンニ>)を娶る。
1211年赦免されるがしばらく越後に留まり、1214(建保 2)常
陸国稲田郷の領主の招きで妻子を連れてに移り住み、ここに草
庵(現:西念寺)を結び浄土真宗を開き、『教行信証(キョウギョウシンショ
ウ)』を著す。
60歳ころ帰洛し、近江の木部(キベ)に錦織寺(ニシゴリデラ)を建
てる。1256(建長 8. 5.)異端に組みした子善鸞を義絶。
「悪人正機(アクニンショウキ)」の教説が有名。
◆親鸞忌(報恩忌)[旧暦11.28]。
[11.22〜11.28]京都大谷派の東本願寺で七昼夜にわたる大法会。
[ 1.10〜 1.16]本願寺派の西本願寺で。
(*)1201(正治 3