聖徳太子
しょうとくたいし
574[敏達 3]
622[推古30. 2.]
◇飛鳥(アスカ)時代の中心的政治家・思想家。名は厩戸(ウマヤド)皇
子、豊聡耳(トヨサトミミ)皇子・豊耳聡・厩戸豊聡八耳命・上宮(ウエノ
ミヤ)王・上宮聖徳法王・法大王・法主王・法皇とも。父は橘豊
日命(タチバナノトヨヒ)尊(用明天皇)、母は皇后穴太部間人(アナフトベノハ
シヒト)女王。
539[推古元]年皇太子となると、推古天皇の摂政として仏教
を基調とした政治を行う。 600[推古 8]新羅の任那(ミマナ)侵冦
に対し援軍を派遣。 603[推古11]「冠位十二階」を定め、 604
[推古12]「憲法十七条」を制定、 607[推古15]小野妹子(イモコ)を
遣隋使に送り大陸文化の導入に努めた。のち新羅・百済が日本
の朝貢国であることを隋に承認させるべく、対等の外交関係を
締結しようとして、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天
子に致す」と記す国書を煬帝(ヨウダイ)に奉呈する。
仏教を信仰し『三経義疏(サンギョウギショ)』(経典注釈書)を著し、
法隆寺・四天王寺・中宮尼寺などを建立。
墓は大阪府南河内郡太子町の叡福寺。
◆聖霊会(ショウリョウエ)[旧暦 2.22]。
[ 3.22〜 3.24]奈良の法隆寺で法会と舞楽が行われる。
[ 4.22]大阪市天王区の四天王寺では境内の石舞台で舞楽が奉
納される。