志筑 忠雄
しづき ただお《しづき ただを》
1760(宝暦10)
1806(文化 3. 7. 3)
◇江戸中期の蘭学者。名は盈長のち忠雄、通称は忠次郎・
仲次郎、号は柳圃(リュウホ)・飛卿、旧姓は中野。長崎生れ。
幼時、和蘭通詞志筑孫次郎の養子となる。1776(安永 5)養父
の跡を継ぎ稽古通詞となり、翌年口舌不得手のため病気を理由
に辞職、中野姓に復す。
1798(寛政10)『暦象新書』を訳述、ニュートン・ケプラーな
どを紹介し天動説を批判。
日本全国の歴史人物、詩人、役者、学者などの有名な方々の名前や簡単な略歴などのデータベース。
しづき ただお《しづき ただを》
1760(宝暦10)
1806(文化 3. 7. 3)
◇江戸中期の蘭学者。名は盈長のち忠雄、通称は忠次郎・
仲次郎、号は柳圃(リュウホ)・飛卿、旧姓は中野。長崎生れ。
幼時、和蘭通詞志筑孫次郎の養子となる。1776(安永 5)養父
の跡を継ぎ稽古通詞となり、翌年口舌不得手のため病気を理由
に辞職、中野姓に復す。
1798(寛政10)『暦象新書』を訳述、ニュートン・ケプラーな
どを紹介し天動説を批判。