里見 義尭(里見 義堯)
さとみ よしたか
1512(永正 9)
1574(天正 2)
◇室町末期の武将。幼名は権七郎、通称は刑部少輔。法号は
東陽院岱宗。実堯の次男、義弘(ヨシヒロ)の父。
1533(天文 2)父実堯が甥の義豊に攻められて稲村城で自害し、
その仇に報ずるため翌1534(天文 3)稲村城の義豊を攻め滅ぼし
房総二州を併合。
1538(天文 7)足利義明とともに小田原の北条氏綱(ウジツナ)・
氏康(ウジヤス)と下総国国府台で戦って敗れ、義明は戦死。のち
しばしば北条氏と交戦。