近衛 文麿
このえ ふみまろ《このゑ ふみまろ》
1891(明治24)
1945(昭和20)
◇昭和の政治家・公爵。近衛篤麿(アツマロ)の長男、秀麿の実兄。
東京生れ。
一時東京帝国大学哲学科に学ぶ。京都帝国大学卒業。
1918(大正 7)西園寺公望(キンモチ)の随員としてベルサイユ講和
会議に出席。1933(昭和 8)貴族院議長。
1937(昭和12)第1次組閣、日中戦争の拡大・長期化を防ぎ得
ず、1938. 1.16(昭和13)近衛声明で和平交渉を打ち切る。汪兆
銘(オウ・チョウメイ)の重慶脱出を機に退陣。
1940(昭和15)第2次組閣、大政翼賛会を創立、日独伊三国同
盟を締結、翌年日ソ中立条約を調印。対ソ宣戦を主張する松岡
洋右外相と対立して総辞職。
1941(昭和16)第3次組閣、衝突回避の日米交渉に失敗し退陣。
太平洋戦争敗戦後、東久邇内閣の国務相として憲法改正案の
起草にあたったが、戦犯容疑者の指定を受け、拘引の直前に服
毒自殺。
◎「あやまろ」とも呼ぶ。
◎第1次組閣、1937. 6. 4(昭和12)〜1939. 1. 5(昭和14)。拓務大臣:大谷尊由(ソンユウ)
第2次組閣、1940. 7.22(昭和15)〜1941. 7.18(昭和16)。外務大臣:松岡洋右
第3次組閣、1941. 7.18(昭和16)〜1941.10.18(昭和16)。外務大臣:豊田貞次郎