足利 義輝
あしかが よしてる
1536(天文 5)
1565(永禄 8. 5.19)
◇室町幕府の第13代将軍。幼名は菊童丸、初名は義藤、戒名は
光源院(コウゲンイン)道円融山。第12代将軍義晴(ヨシハル)の長子、母
は関白近衛尚道の娘、第15代将軍義昭(ヨシアキ)の兄。
父とともに近江国坂本に戦乱を避ける。1546(天文15)征夷大
将軍に就任。1548(天文17)京に帰り、細川晴元(ハルモト)を管領と
する。晴元と三好長慶(ミヨシ・ナガヨシ)・細川氏綱(ウジツナ)との抗争
を避け、1549(天文18)晴元とともに京を追われ再び坂本に、さ
らに1550(天文19)比叡山に逃れる。1552(天文21)長慶と和を結
んで京に帰り、氏綱を管領に任ずる。しかし長慶とその家臣松
永久秀(ヒサヒデ)の勢力が強く、将軍は有名無実であった。1554
(天文23)氏綱に代えて晴元を召還しようとし、長慶に近江国朽
木に追われ、義輝と改名。1558年、長慶と和し京に戻るが、
1564(永禄 7)長慶の死後、政権の奪還を企てたが、翌年、久秀
らに攻められ討死。
将軍就任1546(天文15.12.20)、退任(死亡)1565(永禄 8. 5.
19)。
(2)'54氏綱に代えて晴元を召還しようとして長慶に追われ、晴
元とともに近江国朽木に逃れて、義輝と改名。
「三好長慶」の項。'53義輝を近江国朽木に追う。
(*)1558(弘治 4