足利 義稙
あしかが よしたね
1466
1523(大永 3. 4. 9)
◇室町幕府の第10代将軍。初名は義材(ヨシキ)のち義尹(ヨシタダ)・
義稙。足利義視(ヨシミ)の子、母は日野富子の妹、第8代将軍足
利義政(ヨシマサ)の養子。
幼時に武田信賢(ノブカタ)に、のち山名持豊(モチトヨ)に頼る。第
9代将軍義尚(ヨシヒサ)が六角高頼(ロッカク・タカヨリ)攻めの陣中で没す
ると、父義視とともに上洛し、翌1490(延徳 2)征夷大将軍に就
任、畠山政長(マサナガ)を京に迎える。1493(明応 2)畠山義就(ヨシ
ナリ)の子義豊が河内国誉田城に挙兵、細川政元をはじめ山名・
一色ら諸将がこれに呼応し、政長は敗れて自刃、義稙は捕われ
る。足利義澄(ヨシズミ)が征夷大将軍に就任。越中に逃れ、1497
(明応 6)越前の朝倉貞景を頼り京都回復を図って敗れ、1499
(明応 8)周防の大内義興(ヨシオキ)のもとに走る。
1508(永正 5)大内義興・細川高国(タカクニ)に奉ぜられて上洛し、
将軍義澄その擁立者細川澄元(スミモト)を追って将軍職に復帰。
1518(永正15)義興が周防に帰国。1521年、高国と対立し淡路に
出奔、流れ公方・島公方と呼ばれる。同年、高国は足利義晴(ヨ
シハル)を迎えて将軍にする。
のち阿波国撫養(ムヤ)に移り没する。
将軍就任1490(延徳 2. 7. 5)、退任1521(大永元.12.25)。
(*)1466(寛正 7