安達 義景
あだち よしかげ
1210(承元 4)
1253(建長 5. 6. 3)
◇鎌倉中期の武将。初名は城太郎、法号は願智。景盛(カゲモリ)
の長男、母は武藤頼佐の娘。泰盛(ヤスモリ)の父。
父の跡を継いで秋田城介となり、評定衆・引付頭人などを歴
任。1242(仁治 3)北条泰時の命を受けて、後嵯峨天皇擁立に奔
走する。1247(宝治元)、三浦泰村(ヤスムラ)と勢力を争い、父や執
権北条時頼と共謀して泰村を滅ぼし(宝治合戦)、安達氏の隆盛
をもたらす。のち剃髪し、まもなく病死。
日本全国の歴史人物、詩人、役者、学者などの有名な方々の名前や簡単な略歴などのデータベース。
あだち よしかげ
1210(承元 4)
1253(建長 5. 6. 3)
◇鎌倉中期の武将。初名は城太郎、法号は願智。景盛(カゲモリ)
の長男、母は武藤頼佐の娘。泰盛(ヤスモリ)の父。
父の跡を継いで秋田城介となり、評定衆・引付頭人などを歴
任。1242(仁治 3)北条泰時の命を受けて、後嵯峨天皇擁立に奔
走する。1247(宝治元)、三浦泰村(ヤスムラ)と勢力を争い、父や執
権北条時頼と共謀して泰村を滅ぼし(宝治合戦)、安達氏の隆盛
をもたらす。のち剃髪し、まもなく病死。