足利 義兼
あしかが よしかね
生年不詳
1199(建久10. 3. 8)
◇鎌倉前期の武将。名は三郎兵衛尉・足利蔵人、法号は義称。
源義家(ヨシイエ)の曾孫、義康(ヨシヤス)の第3子。母は熱田大宮司範
忠の娘で源頼朝(ヨリトモ)の従母姉妹、または熱田大宮司季範の娘
で頼朝の叔母。
1180(治承 4)源頼朝の挙兵に応じ、源範頼(ノリヨリ)(頼朝の弟)
に従って西海に平氏を討つ。1189(文治 5)奥州藤原氏征伐で戦
功を立て、遠江守。1190年、大河兼任の乱を平定。頼朝の信任
があつく、頼朝の命により北条時政(トキマサ)の娘(政子の同母妹)
と結婚する。
のち東大寺において出家。
(2)平氏を討ち,功により上総介。
(16)下総介.従四位下.
(*)1190(文治 6