足利 義政
あしかが よしまさ
1436(永享 8)
1490(延徳 2. 1. 7)
◇室町幕府の第8代将軍。幼名は三春のち義成・義政。東山殿。
戒名は道慶喜山慈照院。六代将軍義教(ヨシノリ)の子、七代将軍義
勝の弟、義視(ヨシミ)の兄、九代将軍義尚(ヨシヒサ)の父。室は日野
富子(ヒノ・トミコ)。
1443(嘉吉 3)七代将軍義勝の早世により、細川勝元・畠山持
国らに擁立されて家督を継ぎ、1449年征夷大将軍となる。1453
(享徳 2)従一位権大納言に任ぜられ義政と改名。1460年、左大
臣。1464(寛正 5)准三宮、嗣子がないため弟の浄土寺門跡義尋
を還俗させ後嗣とし義視と改名させる。翌年、夫人富子と間に
実子義尚が生れる。富子は義視の後見である細川勝元と対抗で
きる山名持豊(宗全)を頼り、義尚擁立を策する。この義視と義
尚の係争と畠山・斯波家の家督争いから応仁の乱が引き起きる。
1473(文明 5)富子に将軍職を義尚へ譲らされ、東山に山荘銀閣
(慈照寺)を造り隠居し、戦乱をよそに茶の湯など風雅な生活を
送る。1489年義尚が死亡し、再び政治を執るが翌年死亡。
土一揆の多発・守護大名の台頭・一代に徳政令が十三回行わ
れるなど政治・経済が混乱する一方、美術工芸など文化面では
興隆、貴族的武家文化が開花し、東山時代といわれる。
(2)生年は1436(永享 8)。
(4)生年は1435。
(6)生年は1435。
(16)生年は1436(永享 8)。
(*)1449(文安 6