足利 義昭
あしかが よしあき
1537(天文 6)
1597(慶長 2. 8.28)
◇室町幕府の第15代将軍。法名は覚慶、法号は昌山。第12将軍
足利義晴(ヨシハル)の子、母は関白近衛尚通の娘。
はじめ奈良の興福寺一条院の門跡(モンセキ)、覚慶と号する。
1565(永禄 8. 5.)兄の第13代将軍足利義輝(ヨシテル)が三好義継(ヨ
シツグ)に殺された際、松永久秀(ヒサヒデ)に同院に幽閉され、七月
細川藤孝(フジタカ)(幽斎)に救われて近江(オウミ)に和田秀盛の許に
のがれ、翌年還俗(ゲンゾク)し義秋と称する。1567(永禄10)越前
の朝倉義景(ヨシカゲ)を頼り、4月元服して義昭と改名。1568(永
禄11)織田信長に迎えられて美濃に入り、擁立されて 9.28京都
に入り10.18従四位下征夷大将軍になる。信長の勢力が増大す
るにつれて不和となり、武田信玄・毛利・朝倉・浅井・本願寺
など反信長勢力を糾合し、1573(元亀 4)京都で挙兵したが、敗
れて和睦。同年宇治の槇島城に拠って挙兵するが、陥落。三好
義継の居城の河内国若江に移され、すべての官位を奪われて室
町幕府は滅亡する。諸国を流浪し、1576(天正 4)紀伊から備後
国鞆津に移り、毛利元就(モトナリ)を頼り幕府再興をはかるが、こ
れが信長の中国攻略の原因となる。1587(天正15)全国統一した
豊臣秀吉に迎えられ、1万石を給される。1588(天正16)出家し
て昌山と号し、大坂で没する。