木梨軽皇子
きなしのかるのみこ
生年不詳
没年不詳
◇5世紀中葉の皇子。父は第19代允恭(インギョウ)天皇、母は忍坂
大中媛(オサカノオオナカツヒメ)(応神天皇の孫)。
第20代安康(アンコウ)天皇・第21代雄略(ユウリャク)天皇・軽大娘皇女
(カルノオオラツメノヒメミコ)の同母兄。
允恭天皇の皇太子となる。軽大娘皇女と相愛の仲となり、天
皇の御膳の汁が凍ったことから露見して皇女は伊予国に流され、
皇子は赦(ユル)される。
天皇の死後、穴穂皇子(安康天皇)と皇位を争い、敗れて物部
大前宿禰の家に逃れ、穴穂皇子の兵に囲まれて自殺。
◎『古事記』では、皇子は伊予の湯(道後温泉)に流刑となり、
先に流されていた軽大娘皇女とともに自殺。