菊池 海荘
きくち かいそう《きくち かいさう》
1799(寛政11)
1881. 1.16(明治14)
◇江戸後期の儒者(朱子学)・漢詩人。本姓は垣内、名は保定、
通称は孫助・孫左衛門、号は渓琴(ケイキン)のち海荘。
紀州有田郡栖原の豪商の家に生れ、武芸をよくし、商家を継
ぐ。
のち江戸に出て大窪詩仏(シブツ)(天民)に詩を学ぶ。
1836(天保 7)天保飢饉では大塩平八郎とともに救済策を建議
するが容れられず、帰郷。
紀州湯浅浦に古碧吟社を開く。藩の公共事業に尽力。海防の
急を建白して有田・日高2郡の文武総裁となり、農兵を組織し、
大砲を鋳造。
幕末に上京し、国事に奔走。広瀬旭荘(キョクソウ)らと交遊。
明治維新後、1869(明治 2)民政局に出仕。
程なく辞して東京で死去。
著書は『秀餐楼集』・『海荘集』・『渓琴山房詩』など。