北 一輝
きた いっき
1883. 4.15(明治16)
1937. 8.19(昭和12)
◇大正・昭和初期の右翼革命家。本名は輝次郎。新潟県佐渡生
れ。急進派青年将校の偶像となり、「高天原(タカマガハラ)」とも「魔
王」とも呼ばれる。
早稲田大学で聴講生として進化論・社会主義思想などを学ぶ。
1906(明治39)中国革命同盟会に入党。1911.10.(明治44)上海
に渡り宋教仁らの革命運動に参加。1916(大正 5)再び中国に渡
る。
1919(大正 8)上海で『日本改造法案大綱』を執筆、陸軍青年
将校に深い影響を与える。
大川周明・満川亀太郎(ミツカワ・カメタロウ)らと猶存社(ユウゾンシャ)を
組織。1920(大正 9)大川の招きに応じて帰国。1923(大正12)五
・一五事件で大川と対立して猶存社を解散。
1926. 8.27(大正15)怪写真流布の首謀者として検挙(朴烈<ボ
クレツ>事件)。
1936(昭和11)二・二六事件により 8.28中野区桃園町の自宅
で東京憲兵隊により逮捕。翌年首謀者として皇道派の青年将校
とともに代々木練兵場で銃殺。
著書は『国体論及純正社会主義』・『支那革命外史』など。
(3)北 一輝(きた かずてる)、誕生日は 4.16、没日は1937.
8. 9(昭和12)。(*)没日は誤り。
(5)北 一輝(きた いっき)、誕生日は 4.15、没日は1936. 8.
19(昭和11)。
(8)北 一輝(きた いっき)、誕生日は 4. 3、没日は1937. 8.
19(昭和12)。
(11)北 一輝(きた いっき)、誕生日は 4.15、没日は1936. 8.
19(昭和11)。
◆東京都目黒区下目黒3丁目の目黒不動に大川周明の筆になる
「北一輝先生碑」がある。
◎右眼は義眼。
◎憲兵隊の取り調べで三井から活動費を得ていたことを突かれ
ると「財閥を否定して居ると云ふても彼と是れとは別問題で、
恰も明治維新当時の桂小五郎、西郷吉之助が藩侯の禄を貰って
居たのと其の本質に於ては大差がないと思ひます」と答えてい
る。