河竹 黙阿弥(河竹 黙阿彌)
かわたけ もくあみ《かはたけ もくあみ》
1816(文化13. 2. 3)
1893. 1.22(明治26)
◇江戸末期〜明治前半の歌舞伎の狂言作者。本名は吉村芳三郎、
勝諺蔵(カツゲンゾウ)・柴(斯波)晋輔、二世河竹新七・1881(明治
14)古河黙阿弥、俳号は河竹其水、芳々(ヨシヨシ)(茶番)、晩年は
古河姓を称したこともある。江戸日本橋生れ。
1834(天保 5)19歳の時に五世鶴屋南北の門に入り初世勝諺蔵
と称し、のち二世河竹新七を襲名。1854(安政元)四世市川小団
次のために作品を書くようになり本領を発揮。
生世話物(キゼワモノ)を得意とし、明治期には活歴物・散切(ザン
ギリ)物を作る。
作品数は360編に及び、『三人吉三廓初買(サンニンキチサクルワノハツガイ)』
・『天衣紛上野初花(クモニマゴウウエノノハツハナ)』・『青砥稿花紅彩画
(アオトゾウシハナノニシキエ)』・『白浪五人男(シラナミゴニンオトコ)』・『島鵆
月白浪(シマチドリツキノシラナミ)』など。
(1)誕生日は 2. 3。天保一五年には二世河竹新七を継ぐ。
(5)誕生日は 2.13。天保一四年二八歳のとき二世河竹新七を襲
名。
(8)誕生日は 2. 3。
(11)誕生日は 2.13。天保一四年二八歳のとき二世河竹新七を
襲名。
(13)誕生日は 2. 3。二八歳のときに立作者(文芸部長)となり、
二世河竹新七と改名。
◆黙阿弥忌[ 1.22]。
◆墓は東京都中野区上高田1丁目の源通寺。