萱野 重実
かやの しげざね
1675(延宝 3)
1702(元禄15)
◇江戸中期の赤穂藩士。中小姓、十二両二分三人扶持、江戸詰
め。通称は三平、俳号は涓泉(ケンセン)。摂津国萱野郷生れ。父は
萱野郷の領主旗本大島家の家老格の七郎左衛門(シチロウザエモン)重
利(シゲトシ)。三平は大島義全(ヨシタケ)の推挙で、浅野内匠頭(タクミノ
カミ)長矩(ナガノリ)に仕える。
江戸にいて藩主浅野内匠頭(タクミノカミ)長矩(ナガノリ)が江戸城中
で刃傷(ニンジョウ)に及んだことを聞き、早水藤左衛門(ハヤミ・トウゾエ
モン)満堯(ミツタカ)と共に直ちに早駕籠で赤穂へ変を知らせた。
父重利に大島家に奉公を説得され、忠孝の板挟みで切腹。
辞世の句は「晴れゆくや日ころ心の花くもり」。
『仮名手本忠臣蔵』では「早野勘平(ハヤノ・カンペイ)」、「お軽勘平
(オカルカンペイ)」の恋物語で有名。
(2)父の領主大島阿波守義全(ヨシタケ)の推挙で、3歳のとき赤穂
藩主浅野長矩に仕え、……。翌年2月15日,進退きわまって
切腹した。
(+)『忠臣蔵銘々伝◆物語と史蹟をたずねて』成美堂出版昭和56年11月 1日初版発行監修:尾崎秀樹昭和57年 1月10日四刷発行
三平は、十三歳のとき、父の主家大島出羽守(テワノカミ)の推挙
によって、……。三平は思い悩んだ末、一月十四日、亡君の命
日に切腹して果てた。