賀茂 真淵
かものまぶち
1697(元禄10. 3. 4)
1769(明和 6.10.30)
◇江戸中期の国学者・歌人。本姓は賀茂(岡部<オカベ>)、幼名は
三四(ソウシ)のち政躬(マサミ)・政藤、号は県居(アガタイ)・県居大人
(アガタイノウシ)・県主(アガタヌシ)・春栖(ハルスミ)、通称は衛士(エジ)。
遠州浜松(岡部郷)生れ。神官岡部政信の3男。
浜松の脇本陣梅谷家に入婿。
37歳で上京し荷田春満(カダノアズママロ)に国学を学ぶ。春満の没
後41歳で江戸に出て国学を教授。1746(延享 3)50歳のとき田安
宗武に仕え、1760(宝暦10)隠居。1763(宝暦13)伊勢参宮の途中、
松坂で本居宣長が入門し文通。
江戸で没。
万葉集を中心に古典を研究、古道(古代歌調・古代精神)の復
活を説いた。
著書は『万葉考』・『歌意考』・『国意考』・『冠辞考』・
『祝詞考』・『にひまなび』など。
◎荷田春満・本居宣長(モトオリノリナガ)・平田篤胤(アツタネ)とともに
国学四大人(シタイジン)の一人。
◎門下に本居宣長・荒木田久老(ヒサオユ)・加藤千蔭・村田春海・
楫取魚彦(カトリ・ナヒコ)・塙保己一(ハナワ・ホキイチ)らがおり、県居学派
と呼ばれている。
◎真淵は「契沖先生によって開墾せられた畑に、荷田先生が種
を蒔(マ)かれた国学を、収穫まで仕上げるのは自分の責任であ
る」と言っている。
「真淵の前に真淵なく、真淵の後(アト)に真淵なし」といわれた。
◎明治になって従三位を追贈。