狩野 亨吉
かのう こうきち《かのう かうきち》
1865(慶応元. 7.28)
1942.12.22(昭和17)
◇明治〜昭和前半期の哲学者・思想家。秋田藩の儒者狩野良知
の次男。秋田県大館市生れ。
1888(明治21)東京帝国大学数学科卒業、1891(明治24)同校哲
学科卒業。
第四高等学校・第五高等学校の教授を経て、1898(明治31)第
一高等学校校長。1906(明治39)京都帝国大学の初代文科大学長、
幸田露伴(コウダ・ロハン)・内藤湖南(コナン)を招くが、2年で辞職。
在野で研究生活を続ける。
安藤昌益(ショウエキ)・志筑忠雄(シヅキ・タダオ)・本多利明(ホンダ・トシ
アキ)らを江戸時代の忘れられていた独創的な思想家発見・紹介。
◎蔵書は狩野文庫として東北大学に残っている。
◎夏目漱石の『吾輩は猫である』の先生のモデルといわれる。