奥田 行高
おくだ ゆきたか
1678(延宝 6)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、加東郡勘定方、禄高九石三
人扶持。幼名は小一郎(コイチロウ)、通称は貞右衛門(サダエモン)、戒
名は刃湫跳剣信士、吉良家の探索中の変名は西村丹下(タンゲ)。
父は近松小右衛門(ショウエモン)行生(ユキオ)、近松勘六(カンロク)は先妻
の子で、行高は後妻の子である。奥田孫太夫(マゴダユウ)重盛(シゲ
モリ)の養子・娘婿。
吉良家討ち入りでは裏門隊。三河岡崎城主水野堅物(ケンモツ)の
江戸中屋敷に預けられ、翌年、横山笹右衛門(ササエモン)の介錯(カイ
シャク)で切腹。