岡野 包秀
おかの かねひで
1680(延宝 8)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。初名は九十郎(クジュウロウ)、通称は金右
衛門(キンエモン)、俳号は放水(ホウスイ)、戒名は刃回逸剣信士。浅野
内匠頭(タクミノカミ)長矩(ナガノリ)の刃傷事件のときは、まだ父金右
衛門包住(カネズミ)が健在で部屋住。父は小野寺(オノデラ)家の出身
で、小野寺十内(ジュウナイ)・貞立尼(テイリュウニ)(大高源五<オオタカ・ゲン
ゴ>・小野寺幸右衛門<コウエモン>の母)との兄弟。
吉良家討ち入りでは表門隊。伊予国松山藩主松平隠岐守(オキノ
カミ)の江戸屋敷に預けられ、翌年、加藤斧右衛門(オノエモン)の介錯
(カイシャク)で切腹。
辞世の句は「そのにほひ雪のあさちの野梅かな」。