岡田 寒泉
おかだ かんせん《をかだ かんせん》
1740(元文 5.11. 4)
1816(文化13. 8. 9)
◇江戸後期の儒学者。名は恕(ハカル)、字は子強、通称は清助、
別号は泰斎。江戸生れ。幕府旗本の西丸書院番200石岡田善富
の次男。
兵学を村士淡斎に学び、闇斎学を淡斎の子村士玉水に学ぶ。
老中松平定信の幕政改革に当って柴野栗山(リツザン)につづい
て、1789年小普請から幕府儒官に登用され、さらに登用された
尾藤二洲(ニシュウ)とともに寛政の三博士と称される。大学頭林信
敬(述斎)を助け、「寛政異学の禁」を行なわせる。
定信隠退ののち常陸(ヒタチ)国の代官となる。職務のあい間に
昌平黌(ショウヘイコウ)の教官を勤める。1812(文化 9)代官職を辞し、
寄合となる。
(2)(柴野)栗山・寒泉に加えて