太田 錦城(大田 錦城)
おおた きんじょう《おほた きんじやう》
1765(明和 2)
1825(文政 8. 4.23)
◇江戸中期の漢学者(折衷学派)。名は元貞、字は公軒、通称は
才佐、号は錦城。加賀大聖寺の医師・本草学者大田玄覚の子、
母は樫田氏。
京都の皆川淇園(キエン)・江戸の山本北山に学ぶが意に満たず、
宋学に清朝の考証学を取り入れ一家をなし、江戸で教授。三河
国吉田藩に招かれる。
晩年、加賀藩に仕え禄300石。
著書は『梧窓漫筆』など。
◎長男徳厚は加賀藩に、三男敦は吉田藩に仕える。