大友 宗麟
おおとも そうりん
1530(享禄 3)
1587(天正15. 5.23)
◇戦国時代のキリシタン大名。幼名は塩法師丸、名は義鎮(ヨシシ
ゲ)、号は休庵宗麟・府蘭・宗滴、教名はフランシスコ(Fran-
cisco)。大友義鑑(ヨシアキ)の長男、母は大内義隆の姉。大内義長
(ヨシナガ)の兄。大友義統(ヨシムネ)(吉統)の父。
側室の子塩市丸と家督を争い、1550(天文19)殺された父義鑑
の家督を継ぎ、正四位下左衛門督。1552(天文21)周防の毛利氏
に一時門司城を奪われる。1559(永禄 2)肥前の竜造寺隆信と争
う。1562(永禄 5)剃髪し休庵宗麟と号する。1564(永禄 7)筑後
に攻め入り、翌年平定。1569(永禄12)再び隆信と争い、翌年佐
賀城を攻める。1568(永禄11)毛利氏に内応した立花鑑載を滅ぼ
す。1571(元亀 2)足利義昭の調停で毛利氏と和睦。
1578(天正 6)キリシタンに帰依して、豊後の府内(大分県)を
対外文化の中心となる。同年、島津義久と日向耳川に戦い大敗。
1579(天正 7)家督を嫡子義統に譲り、臼杵に隠居。
1582(天正10)大村純忠(スミタダ)・有馬春信とともに天正遣欧
使節を派遣。
1586(天正14)島津義久が来攻すると、自ら大坂に上り豊臣秀
吉に救援を請う。秀吉は長宗我部元親・仙石秀久を向わせるが
ともに敗れ府内が奪われる。
豊後国海部郡津久見で没する。